子どもの学びの深さを左右するもの

 「子どもの育ちと学びをつなぐ研修会(H28.6.22)」において、講師 上智大学 教授 奈須 正裕 先生から「子どもは本来、自分をとりまく生活やそこでの経験との関わりの中で学ぼうとしている。自分に引き付けて考え、自分と関わらせることで教科的にも授業が深まる。」というお話を頂いた。

 このことは、子どもは誰もが自分の生活経験を学びの足場として授業に参加することができることを意味する。そうした授業では、個々のよさが大切にされる。授業の中で、一人一人のよさが積み重なって、教室に「平等の文化」が子どもの手によって創り出される。平等の文化をもつ学級では、子どもたち同士が、お互いの考えをじっくりと聞き合って、味わっている。いがみ合いも不安もなく真理を真っ直ぐに追求する、創造する学びの集団が形成される。ここには、「癒やし」があり、いじめなどは近づけさせない学級文化として一人一人の子どもの心の奥深くに作用する。

 昨年、「野菜を育てよう」という小学校1年の生活科の授業を参観した。
 Aさんが「ツバキとパンジーは、冬、花が咲くんだよね」と、自らの考えを確かめたいかのようにつぶやいた。
 先生は自分では答えずに「このことはBさんが詳しいんだけどBさん、教えてくれる?」と言ったのだが、Bさんは、しばらく黙ったままである。
 目は真っ直ぐに先生を見ている。周りの子は、黙って待っており誰一人催促する子はいない。
 ようやくBさんが話し始めた。「ツバキは冬咲く花で、パンジーは冬にも咲く花です。」
 これを聞いて、先生も子どもたちもニッコリしている。
 これには二つ参った。
 一つは、じっと耳を傾けて根気強く受け止める先生と子どもたちのさりげない様子である。毎日毎時間こうした授業の雰囲気を積み重ねてきているのだろう。
 もう一つは、Aさんの言った内容を否定せずに的確に述べているAさんの答え方である。ここには、情が大事にされ、かつ論理性、合理性が磨かれている世界がある。新卒間もない先生と、小学校1年生。しかし、授業の崇高さは並ではなかった。学び方の次元で言ったら、この1年生にかなわない上級生は、いくらでもいるだろう。

 学習指導要領の「主体的、対話的、深い学び」、は、教師の見取りの深さが、子どもの学びの深さを左右すると言ってもよいだろう。日々、子どもたちの学びの姿を見取り、自らの眼力を高めている人には、校種の違いに関係なく、子どもの学びの世界が見えている。幼児の遊びを見て、その子にとっての遊びの意味が見えることと、中学生の学習を見て、その子にとっての学びが見えることは、実は同じなのではないか。本質は極めてシンプル。
その子が何を突き詰めたいのか、何を面白いと感じているのか、だと私は思う。