アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の遺してくれた幸せの種

― 水が流れた、その瞬間 ―

アフガニスタンで凶弾に倒れた
中村哲医師。

彼は、診療所や支援物資よりも
「きれいな水さえあればよい」
そう信じていた人でした。

医師でありながら、
自ら重機に乗り、用水路建設工事に着手する。
その道のりは、想像以上に険しいものでした。

洪水のたびに破壊される取水口。
現地の人々から投げかけられる
「医者には無理だ」という揶揄の声。

それでも、考え続けた先に
一筋の光が差し込みます。

それが、福岡県朝倉市にある
山田堰でした。

江戸時代の先人たちが生み出した知恵。
自然の力を抑え込まず、受け流す構造。
堰はいまも、ゆったりとした流れをたたえています。

この堰から学びを得た中村氏によって、
アフガニスタンに
壊れない堰が完成しました。

そしてついに、
数十万人の命を支える水が流れ出したのです。

江戸時代の日本人の知恵が、
異国の地で人々の命を救う。

なんと壮大な、ご縁でしょうか。

もしタイムマシンがあったなら、
当時の人々にこのことを伝えたい。
ビデオを積んでいって、
中村哲氏のドキュメンタリー映画も
見せてあげたい。

中村哲氏の棺は、
大統領の肩に担がれ、飛行機で帰国しました。

トルコの人々が今も日本に
深い友好の念を抱いてくれているのは、
和歌山県沖で起きた
エルトゥールル号遭難事件が
教科書に残っているからだといいます。

それと並んで、
アフガニスタンで中村氏が遺したものもまた、
日本にとって、
きっと静かに輝き続ける宝物、
そして、両国の人々の幸せの種に
なっていくに違いありません。