「ごんぎつね」に思うこと

学校という場所で、長く時間を過ごしてきました。

教える立場にありながら、
実際には多くのことを教えられてきたように思います。

うまくいかないことや、思い通りにならないこと。
その中で立ち止まりながら、少しずつ考えてきました。

いまは、そのときに考えてきたことを、
もう一度見直しています。

これは、その続きのようなものです。

学校の中で感じていたことは、
学校の外に出ると、また少し違って見えてきます。

それでもどこかで、
同じようなことが繰り返されているようにも感じます。

人と人が関わる場所では、
うまく言葉にできない何かが、いつもその間にあります。

それを急いで整理しようとすると、
大切なものをこぼしてしまうような気がします。

以前、小学校4年生国語『ごんぎつね』の作者
新美南吉の足跡をたどって、
愛知県半田市の記念館を訪ねました。

そのときに描いたのが、この一枚です。

『ごんぎつね』の物語は、
あとになってから気づくことの重さを、
静かに伝えているように思います。

そのときには気づかれなかったことが、
あとになって、ようやく見えてくる。

でも、そのときにはもう、
取り戻せないものもあるかもしれません。

学校の中にも、
ふだんは気づかれにくいものが、いくつもあります。

にぎやかな出来事の陰で、
そっと支えられているもの。

言葉にならないまま、
受け渡されているもの。

それらは、意識して見ようとしなければ、
そのまま通り過ぎてしまいます。

いまは、そうしたものを、
できるだけ見落とさないようにしたいと思っています。

はっきりとした答えを出すことよりも、
見過ごしてしまいそうなものに、もう一度目を向けること。

それが、これからの自分にできることなのかもしれません。

まだ途中にいるような感覚があります。

だからこそ、
これからも考え続けていきたいと思っています。