S先生の悩みを聞きました。
「最近、子ども達が私の言うことを聞いてくれず、
困っています。授業中は、集中していないし。
特に、Kくんが、まったく返事もしてくれなくて。
周りの子が、Kくんをまねてきているのが気になるのです」
まずは、特に気になるKくんのこと、
そしてS先生とクラスの子ども達との信頼関係、
さらに、プロの教師に求められる姿勢について、
の三つについて話しました。
1 特に気になるKくんのことについて
「Kくんのまねをする子がでてきた」ということをどう考えるか。
子どもの言葉で言えば、「Kくん、人気者」。
場合によっては、力関係的に、インフルエンサー。
いずれにしても、キーマン的存在。
ある意味、教室の雰囲気を表してくれるバロメーター。
もっと言うと、先生の授業力の評価者。
いずれにしても、この子のことを、
先生がどういう目で見ているのかが、最重要。
厄介な子なのか?
東井義雄氏(1912-1991 兵庫県出身:「教育界の国宝」と呼ばれた)は次のような言葉を残されています。
「この子さえいてくれなければ・・・」
と考えたこともある子どもを
「この子がいてくれるおかげで・・・」
と位置づけたときから教育は始まる。
(『東井義雄一日一言 いのちの言葉』致知出版社より)
担任が、K君のことをどれだけ知ってるか?
どんなアニメが好きか。
好きな給食は何?
兄弟姉妹は?
生き物が好きか?
子どもは家庭を背負って学校にくるというが、
背景はどうか。
仲の良い友達は?
などなど。
様々なKくんについての情報があるけど、
その中で、共通の話題ができそうなものはないか。
アニメのキャラクターの下敷きとか持っていたら、
さりげなく
「そういえばさ、Kくん。このキャラ好きなの?」
「えっ、なんで?」
「だって下敷きも、靴下もこのキャラだよね」
「うん。好きだよ。」
「やっぱりなあ!当たり。当たり。」
「船がかっこいいよな。あれなんて船だっけ?」
「えっ、先生知らないの?」
「わかんないなあ!」
「じゃあ、教えてあげる!あれはね・・・」
と、すでにここで、教える側だった先生という存在が、
Kくんの中で逆転している。
だからと言ってKくんが先生を馬鹿にしたりはしない。
アニメのキャラクターという共通言語によって、
Kくんとの通信回路が開いた瞬間である。
そして、そこからいもづるしきに、
Kくんの世界を知っていく
それはなんのためか?
言うことを聞いてもらうためではない。
ここまでくると、
そんなレベルではないことに先生自身が気付く。
「子ども理解」という言葉を、
言ったり、書いたりしていると、
自分は子どものことを理解している、
と錯覚してしまうことがある。
子どもを知ることの目的は、
その子の伸びようとする芽が
どこにあるのかを知ること。
そしてそこに向かって
一緒に歩くこと。
Kくんが「自分の力で歩けた」と思えるように。
2 S先生とクラスの子ども達との信頼関係
(S先生は自分たちの味方だ・・・)と、
子どもは直感で読み取る。
・一緒に遊びを楽しむ
・一緒に笑い合える
・一緒に泣ける
・一緒に怒る
・一緒に喜ぶ
喜怒哀楽を共にすることができるかを、
よく見ている。
だから、1で述べたことも、よく見ている。
S先生は人を差別する人かどうかを。
友達が叱られることも、
自分が叱られている感じがする。
かわいそう。
仲間だから。
特定の子が叱られる回数が多くなると
「いつもS先生はあの子ばかり叱る」
あの子のせいで、授業が進まない。
子どもの心にモヤモヤが起こる。
逆に、
「いつもS先生はあの子ばかり褒める」
これもモヤモヤしてくる。
誰とでも仲良く。
と言っているS先生が、、、。
これもモヤモヤする
みんなの前では叱らない。
決まった子だけを褒めない。
どの子にも、その子のプライドがある。
3 教育の営み 「雨垂れ石を穿つ」
子どもに対する話し方
聞き取りやすい声
身体的なパフォーマンスなど、
確かに、必要な教育の技術、方法はあるでしょう。
しかし、これらが有効に作用するためには、
1と2で述べた、
子どもとS先生あなたとの関係づくりにこそ、
まずは、心を砕いてみてはどうでしょうか。
失敗した時に、先輩から言われた言葉。
「力は後からついてくるんだよ」
逆に、子どもが思い通りの活動をした時には、
「自分の力だと思うなよ」
謙虚に学び続けろ、と言うことだと思う。
自ら学ぶ教師が、自ら学ぶ子どもを育てる。
なにか魔法のような技術があるわけではなく、
まして、北風の冷たさをもって怖い顔で抑え込むことなどしなくても、
たとえ何度裏切られても、
子どもの自ら伸びようとする力を信じて、
日々の一つ一つに愛情を込め、
丁寧な対応を積み重ねることが、
やがて、学級経営の花となる。
「雨垂れ石を穿つ」
1秒たりとも不安げな顔を見せず、
生きることに凛とした姿勢で臨む姿。
日々の一挙手一投足に、
自らの生き方が問われる「人生修行」。
だから、子どもの前で私は自分のことを
「先生は、、、」とは言わないようにしている。
いや、言えない。
そういう人として対等であろうとする人の話を、
子どもは聞きたいと望んでいる。
S先生、私はそう思うのですが…。