ろうそくのほのおは、
ゆびでしんをつまむだけで、
けすことができる。
ちょっとゆうきがいるけど、
うまくやればやけどしない。
ちょっとあついけど、
火をあなどってはいけないことを、
指でさわることで体験的に理解できる。
「ごめんね」「いいよ」はこれに似ている。
思い切ってあやまれば、
人をあなどってはいけないことを学ぶ。
謙虚になれる。
ゆるしてもらえた子は、
敗者ではない。
次には友達を許す子になる。
謝られた子も、自分が許すだけで、
自分も楽になることを体験する。
この体験が共有されることで、
価値あるものとして、
人としての土台が
積み上がってゆく。
ここまでは、「教育的」。
だが、実はもっと大切なこと。
今ここで、
ゆるした子も、ゆるされた子も、
気持ちが晴れやかなこと。
そして、そのことに今、自分自身が気づくこと。
生きている喜びを子どもなりに味わっている。
この瞬間こそが、かけがえのないものになる。
この瞬間、この味わいある子どもの世界を、
大人も味わいたい。
そして、味わった後でそっと言ってあげたい。
「自分たちで仲直りできたんだ。えらかったね」
この言葉が、子どもに気づきをもたらす。
まんざらでもない自分に。
にこっとして、こころがぽっと、
自信というほのおであたたかくなる。
こんどはそのほのおが、
人をあたためるほのおになる。
ただし、こうした営みには時間がかかる。
自分の思いをきれいに整理して話すことは、
子どもにとって難しいこと。
先生や大人が、上手に整理してあげることも、
時には必要になる。
火のついたろうそくをそのまま家に持ち帰り、
延焼させてはならない。
指一本で消すことができたほのおも、
拡大したら、おとなまで大騒ぎになり、
消防や救急、警察にも、
仕事が及ぶかもしれない。
そうなる前に、完全に火を消して、
家に帰してあげたい。
しかし、今の学校には、
「ごめんね」
「いいよ」
の納得、了解に至るための
子どもにとって、
先生にとっても、
大事な大事な「時間」が足りなすぎる。
それでも、子どもの世界にもめごとは起き続ける。
子どもは、あやまりたい。
その時を探している。
いじめの問題が社会問題化して、
大きくなってきたのは、
この
「ごめんね」
「いいよ」
の解決の時間がなくなったことも、
一つの理由かもしれない。