春は、いろいろ動き始める季節です。
新しい場所へ向かう人も多く、少し緊張しながら歩き出す季節でもあります。
そんなとき、心がほっとひと息つける言葉があるといいなと思います。
以前、マレーシアへ行ったときに、現地に住んでいる日本人の友人 Mさんから、こんな話を聞きました。
マレーシアでは、自分たちの国の言語では表現できずに、英語を使わなければならない状況があるというのです。
日本で暮らしていると、こうした状況は考えません。
そう考えてみれば、日本語はとても豊かな言葉です。
明治時代、新しい概念が海外から次々に入ってきたとき、当時の人が懸命に日本語へと訳してくれました。そうした先人たちの努力によって、私たちは自分の国の言葉で深く考え、語ることができています。
さらにさかのぼれば、『万葉集』や『枕草子』のような古典があります。
学校で古典を学んだとき、古語辞典を引きながら「なんて面倒なんだ」と思った人もいるかもしれません。私も、あの手間にうんざりした記憶があります。
でも今になって思うのです。
実は、とても贅沢なことだったのだと。
季節の移ろい、光の具合、心の揺れ、言葉にしにくい感覚。
そうしたものを、自分たちの言葉で表し、受け継いできた文化が日本にはあります。
国語は、覚えることも多い。
書くのも簡単ではない。
訓練も必要。
しかし、その積み重ねがあるからこそ、私たちは深い文化の中を自由に泳ぐことができる。
自国の文化を理解したり、創造したりするのに他国の言語を使わずにできる。
それは、世界のどこの国でも当たり前にできることではありません。
だから、国語をただの「勉強」だと思っているうちは、そのありがたさはなかなかわからないのだと思います。
日本語の豊かさ。
これがまさに国語の醍醐味です。
では、春にちなんで『枕草子』の冒頭を声に出してみましょう。
はるはあけぼの
やうやうしろくなりゆくやまぎは
すこしあかりて
むらさきだちたる くものほそくたなびきたる
(枕草子 より)
私には、この一節に忘れられない思い出があります。
中学生のころ、国語のN先生が、これを暗記する宿題を出してくださいました。
当時はまだ頭も若く、必死に読んでいるうちに覚えることができました。
次の授業で、一人ずつ暗唱を聞いていただいたのですが、私が言えたとき、先生はにっこり笑って褒めてくださいました。
あのときのうれしさを、今でも覚えています。
先生は今、九十歳を過ぎましたが、東京で元気に暮らしていらっしゃいます。先日はお手紙までくださり、私の似顔絵まで描いてくださいました。
この枕草子は、当時は「暗記」として覚えた言葉でした。
けれど今、あらためて声に出してみると、ただの記憶ではなく、情景とともによみがえってきます。
夜が明けていく空。
少しずつ白んでいく山ぎわ。
春の朝の、あの静かな光。
暗記した言葉は、歳月を経て、味わいをまとって戻ってくる。
今は、無理に覚えさせられていると感じることがあるかもしれません。
けれど、その言葉はいつか、たしかな味わいとなって返ってきます。
なぜなら、そこには日本語の豊かさと、脈々と受け継がれてきた文化の奥深さが息づいているからです。