「一粒の砂に世界を、フタバアオイに出会いを」〜オレゴンの子どもたちが驚いた昭和の筆記体〜

私のデスクにある、少し古い「殴り書き」を見てください。

これは2020年6月、深夜の書斎で、私がコピー用紙に筆で興にまかせてかいたものです。

書かれているのは、18世紀イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイク(William Blake)の『無垢の予兆(Auguries of Innocence)』という詩の一節です。

なぜ、当時の私はこの詩にピンと来たのか。 その理由は、この筆文字の左側に描いた、小さな葉っぱにあります。

🌱 双葉葵(ふたばあおい)が繋ぐ、人と人との出会い

この葉は、フタバアオイといいます。 静岡市立葵小学校のシンボル的な植物であり、古くは「あふひ(逢う日)」とも書かれ、人との出会いや交流を象徴する言葉でもあります。

実は、葵小学校では、このフタバアオイを校内で大切に育てています。なぜか。 京都の上賀茂小学校、上賀茂神社との交流、そして、京都の三大祭りであり1500年の歴史をもつ「葵祭り」で使っていただくという一連のプロジェクトのためです。京都からは、毎年、桜咲く四月に行われる静岡祭に「葵遣い」の皆さまがフタバアオイを届けてくださるのです。

黒い帽子に添えられたフタバアオイが見えます

次のものは、葵小学校が京都市長から頂いたメッセージです。

門川大作京都市長からのメッセージ 
過去に一度、名刺交換させていただきましたが、
たいへん気さくな市長さんでした

静岡の子どもたちが育てたフタバアオイが、歴史ある京都の祭りを彩り、遠く離れた小学校同士を繋ぐ。 その「人との出会い」や「目に見えない繋がり」の中に、世界を見る。 ブレイクの詩にある「一粒の砂に世界を見る」という精神と、このフタバアオイの物語が、私の中でリンクしたのです。

この「出会い」のインスピレーションこそが、私に筆をとらせました。

🇺🇸 オレゴンの子どもたちが、昭和の筆記体に驚いた

そして、墨文字の下に、あえて筆記体(Cursive)で英語を添えています。 この筆記体にも、私自身の「出会い」の物語が込められています。

かつて私は、アメリカ・オレゴン州の小学校に1ヶ月間滞在し、現地の子どもたちの教室で授業をしていました。

ある日の授業で、私が黒板に筆記体で英語を何気なく書いた時でした。 教室中の子どもたちが、「Wow!」と驚きの声を上げたのです。

昭和の時代、私たちは「ペンマンシップ」という練習帳で、一生懸命に筆記体を練習しました。英語を話す外国人は、誰もが筆記体を当然のように書けるものだと信じて。
 (文部科学省の「学習指導要領」では、2002 年度から筆記体は必修ではなく補助的な扱いになりました。現在は「教えることができる」という程度の記述に留まっており、実際に授業で時間を割いて教える学校は非常に稀)

しかし、驚くべきことに、現代の(といっても30年前の)アメリカの小学校では、筆記体を黒板に書いている授業はほとんど行われていませんでした。子どもたちにとって、日本人の私が筆記体を使っていたことに驚いたようです。

私たちが「常識」だと思っていたことが、海を渡ると「サプライズ」になる。 これもまた、世界との出会いが教えてくれた、大切な学びでした。

🗺️ 地図の上の「赤丸」が指す場所

手元の辞書。 ウィリアム・ブレイクの祖国イギリスと、広大なアメリカの地図が写っています。

そして、アメリカ西海岸の北側、オレゴン州の場所に、「赤丸」をつけました。 私が子どもたちと出会い、昭和の筆記体で驚かせた、あの場所です。

アメリカ・オレゴン州の教室、静岡と京都を結ぶフタバアオイ、そしてイギリスの詩人の叡智。

一粒の砂、一枚の葉、そして一つの出会いの中に、世界は確かに存在しています。

これから私たちが進む未来も、こうした「顔の見える出会い」の積み重ねの先にあると、私は思います。

身近な「一粒の砂」の中に、何か新しい世界があるかもしれませんね。