長い時間をくぐってきた水を見て、目先の損得について考える

普段はあまり意識しないけれど、水って本当に不思議です。
富士山に降った雪や雨が、長い時間をかけて地上に現れるこの場所。
この滝の水のことを思うだけで、心が少し静かになります。

蛇口をひねれば水が出ます。
飲む。洗う。潤す。冷やす。温める。
私たちの暮らしは、当たり前のように水に支えられています。

しかし、その水がどこから来て、どれほど長い時間をかけてここへ届いているのかを、立ち止まって思うことは案外少ないのかもしれません。

富士山に降った雪や雨が、長い時間を経て地上に現れる。

富士山に降った雪や雨は、すぐに姿を見せるわけではありません。
地中にしみ込み、地層をめぐり、長い時間をかけて磨かれ、ようやくこのように地上に湧き出してきます。

目の前のこの澄んだ水を見ていると、ただ美しいというだけではなく、急がず、騒がず、深いところで育まれてきた時間そのものが流れているように思えてきます。

心がゆったりする理由

私は、富士山の地下にある膨大な水のことを考える時、なぜか気持ちがゆったりとしてきます。
その理由をうまく言葉にできませんが、この水を見ていると感じるのです。

そこには、目には見えない長い沈黙があります。
人に見せるためではなく、誇るためでもなく、ただ地中で静かに時を重ね、ようやく光のある場所にやってきます。

水が教えてくれること

水を、ただ便利な資源として見るなら、それは役に立つもののひとつです。
しかし、こうして湧き出る姿を前にすると、水はもっと意味深いものに思えてきます。

静かに地下を巡りながら、
水はどこまでも透明になり、
長く待つことで、
ミネラルを多く含んで現れ、
人や生きものを潤してくれる。
その忍耐力は素晴らしいです。

人の営みも、目に見えるものだけで成り立っているわけではなく、
見えないところで蓄えられ、育まれ、長い時間をかけて、ようやく形になって現れてくるものがあります。

すぐに結果が見えないことにも、意味がないわけではないのでしょう。
むしろ、本当に大切なものほど、地中の水のように、深いところでゆっくり育つのかもしれません。

目先のメリット、デメリットにとらわれ、
大切なものを見失うことがないように…。

富士山の地下水をぼんやりと眺めては、そんなことを思うのです。