不易の庭らじお #020
「独楽吟」に曲をつけてみました
今日は、いつもとは少し趣向を変えて、私が最近取り組んでいる音楽づくりのお話をしたいと思います。
橘曙覧(たちばなのあけみ)という歌人。江戸時代の終わりごろ、福井に暮らした歌人で、1812年から1868年まで生きた人です。
この橘曙覧が残した歌に、『独楽吟』というものがあります。
「たのしみは」という言葉で始まり、日々の暮らしの中にある小さな喜びを詠んだ、52首の短歌です。
例えば、
「たのしみは 庭にうえたる 春秋の
花のさかりに あへる時時」
自分で植えた花が、春や秋に美しく咲いている。
その花に出会えることが、うれしい。
ただそれだけのことなんですね。
でも、私はこうした歌を読んでいると、何ともいえない豊かさを感じるんです。
私たちは、何か特別なことが起きたときに幸せを感じると思いがちです。
けれども、よく目を凝らしてみると、いつもの暮らしの中にも、幸せの種はたくさんある。
橘曙覧の歌は、そのことを思い出させてくれます。
実は最近、この『独楽吟』の短歌に、自分でメロディーをつけてみました。
パソコンで、自分で曲をつくる(いわゆるDTMですね)ことに挑戦してみたんです。
旋律を考え、伴奏をつけ、歌声を重ねて、一つの作品に仕上げていく。
これが、なかなか面白いです。
今回、二つ、つくりました。
第01番では、朝、庭の花が咲いている喜びや、家族が仲よく食卓を囲む喜び、そして子どもたちがすくすく育っていく喜びを詠んだ三首を選びました。
そして第02番では、また別の三首を選んでいます。
一つ目は、昼寝から目覚めると、知らない間に雨が降って庭を潤していた、という歌。
二つ目は、湯を沸かし、埋み火を間に置いて、人と語り合う喜びを詠んだ歌。
三つ目は、先ほど紹介した、庭に植えた花の盛りに出会う歌です。
どの歌にも、大きな事件は起きません。
雨が降る。人と語る。花が咲く。
本当に、それだけなんです。
でも、そんな何気ない出来事に、橘曙覧は「たのしみ」を見いだしている。
私は、ここにとても惹かれます。
そして、曲をつけるのなら、歌だけでなく、その情景も一緒に味わえたらと思いました。
そこで、これまで撮りためてきた身近な自然の写真を使って、短い映像作品にしてみました。
映像には、日本語の短歌と英訳も添えています。
歌声は、コンピューターによる歌声合成の技術を使いました。
ただ、メロディーを考え、伴奏をつくり、写真を選び、映像に仕上げるところは、自分の手で少しずつ進めています。
何しろ、こうした音楽づくりは、まだまだ勉強中です。
思いどおりにいかないこともありますが、一つできると、また次をつくってみたくなる。
これも、私にとっての小さな「たのしみ」なのかもしれません。
さて、完成した映像は、現在YouTubeの「不易の庭」でご覧いただけます。
当初はこのPodcastでお届けするつもりだったのですが、写真と音楽を組み合わせたことで、YouTubeで公開する形になりました。
この番組の説明欄に、作品へのリンクを載せておきます。
どちらも短い作品ですので、お時間のあるときに、ぜひご覧いただけたらうれしいです。
そして、もしよろしければ、皆さんご自身の「たのしみは」を考えてみてください。
朝の一杯のお茶でもいい。
庭の小さな草花でもいい。
誰かと交わした、何気ない一言でもいい。
幸せというものは、どこか遠くに探しに行くものばかりではなく、案外、すぐそばにあるのかもしれません。
今日は、橘曙覧の『独楽吟』に曲をつけてみた、というお話をしました。
それでは、また。
不易の庭らじおでした。