

今回は
学級通信第12,13号は、1989年、夏休み明けの教室。
ここに書かれているのは、「夏休みに頑張ったこと」ではなく、「夏休みの自慢」でした。
これは1学期の終業式で渡した通知表を戻してもらうときに、一人ひとりの子供たちと面談をして、夏休みの自慢と2学期の目当てを1人ずつから直接聞き取ったものです
早起きをしたこと。家の手伝いをしたこと。泳げるようになったこと。勉強を続けたこと。
並んでいるのは、決して大げさな自慢ではありません。でも読んでいると、どの言葉にも「自分なりに、ここは頑張ったよ」という小さな誇らしさがにじんでいます。
今なら「頑張ったこと」と言い換えてしまいそうですが、あえて「自慢」と呼ぶことで、子どもたちは自分のよさを自分の言葉で認めています。
その自慢が、なんとも素朴で、少し照れくさくて、妙にかわいらしいのです。
そして、夏休みが終われば二学期の始まり。
「今度はこんなことを頑張りたい」と、新しい目当てをたてる子どもたち。
自分の頑張りを一度きちんと認めて、それを次の一歩につなげていく。
40年近く前の学級通信「あしあと」から、そんな子どもたちの声と、夏休み明けの教室の空気を振り返ります。
◼️しぃちゃんから
みんなの夏休み明けの自慢と頑張ることを読んで、
夏休みは早々に水泳記録会の練習に泳がされた。
泳いだなぁ◯◯くん、◯◯ちゃん水泳得意だったなぁと忘れかけていた記憶が蘇ってきました。
自分の自慢&頑張ることの文章の書き方が我が子と同じでビックリ!!笑いました😆
みんなが多くあげてた発表の目標ですが、私も『間違えてたらやだなぁ』『恥ずかしいなぁ』と思っていたうちの1人です。なんでしょうね〜ずっと共にしてきたクラスのみんなだし知らない人の中で話すわけじゃないのにそう思ってしまっていたのは・・・
プライドが高かったのかな?
間違えることへの恐怖心ってなんだろう?
今なら『間違えてこそ答えが見えてくる』『間違ったら何で間違ったのか?そこからが大事』『正解することだけが正解じゃない』と自分を鼓舞することができるのは大人になった(経験を積んだ)からでしょうね。
子どもにも正解するって素晴らしいことだけど、間違えをどうするかのほうがもっと大事なんだと、ことあるごとに話す親になってますよ私。
🟥 自分を鼓舞することができると言うところがとてもいいんじゃないかなぁと言うふうに思います。まさにこういうことが自立への道筋だと思うんですよね。人の評価ばかり気にしている人は間違えることに恐れを感じるのかもしれませんね。人から自分がどう見えるかよりも、自分はこういう風に生きるんですという、ぶれない自分、自分を大事にして信じる、そういう姿勢が大事なのかもしれません。