今回は
学級通信第12,13号を読んだみわちゃんからお便りをいただきました。
みわちゃんが「間違った時の自分はどうしていたのかな」という素朴な疑問を出してくれたので、当時の記録をあたってみました。すると意外なことが見えてきたのです。ここではそのお話を「不易の種」として皆さんにご紹介いたします。
◼️みわちゃん
水泳記録会の練習、やりましたね(!!)
真っ黒に日焼けして、皮がむけるまで。
現在は夏休みに毎日のように登校して水泳練習もなく、水泳の授業も少ない。泳げなくてもいい、、、
ラッシュガード、ゴーグルはマストアイテムではないでしょうか。
以前のあしあとで掲載された、8秒間走や、今回の水泳、ラジオ体操の話などを子供達にしても、第一声は昭和だねです。
前回のAIの総括でサバイバルというワードがでてましたが、
裸足で50M走をしたり、イタドリや野イチゴ食べたり、ノビルをとったり。
ごもっともですよね。宿泊訓練で火おこし器を使用した小学生はなかなかいないですもの。
子供達には、今はできないことをのびのびとやってきたと伝えてます。
今思えば、のびのびやらせてもらえていたのですよね。大人達や環境に感謝です。
発表の事に関しては、
当時の私は何も考えず、発表すればよいと思っていた児童かもしれません。
無論、間違えたらどうしようなんて思いもせずにいたのだと思います。
今となっては、どこにそんな自信があったのだと恥ずかしい話ですが。
実際、発表が間違えていた時の私は、一体どうしていたのだろうと、気になる所です。
「授業が変わった」〜新田先生・杉山先生からの励ましのお言葉
🟥 ちょうどこの学級通信を出した1989年の9月に、学校では校内研修と言って、授業を見合いながらより良い授業に改善するための先生たち同士の会議をやっていました。研修のテーマは「子どものこだわりが生きる授業」です。当初は「こだわりを生かす授業」というテーマはどうかと議論されていたところを、教師の都合で「生かす」のではなく、さまざまな子どもたちの考えが「生きる」という懐の深い授業を求めていく、そんなテーマに設定したのでした。
そこで、私のクラスで算数の授業をすることになり、校長先生をはじめ何人かの先生方が授業を見にきてくださいました。
その折にみわちゃんが算数の四角形の内角の和を求める授業の中で間違った答えを出してくれました。その間違った答えを他にも何人か同じ考えをした子がいたんですけれども、その間違った答えを授業の中に位置づけることができなかったということがありました。結果、その時の授業は何の盛り上がりもなく、平凡な形で終了してしまいました。その授業を見てくださった校長先生や教頭先生がいくつかアドバイスをくださったんだけれども、その中の校長先生の言葉を次に載せます。


校長先生は新田校長先生でした。今は残念ながらお亡くなりになってしまいましたが、とてもあたたかなアドバイスを私はいただいたのでした。
そこで、この授業をもう一度、今度はみわちゃんの意見を中心において授業を組み立てました。このやり直した授業から、子供たち自身が真に生きる授業とはどんなものかということを考えるきっかけになったのです。
ですから、みわちゃんが「発表が間違ったときの私は一体どうしていたんでしょうか」と言う疑問を今出してくれたことに驚いています。この問いかけがなければ、過去の記録を紐解きみわちゃんに話すこともなかったと思います。
そして、今でもはっきりと覚えていますが、この授業がみわちゃんの間違いのおかげでがらりと変わった活発な討論の授業になったのです。最後には、みわちゃんが自分の考え方が間違っていたことに気づいたときの「あ、そうか!」と大きな声で言った爽やかな笑顔が今でも印象に残っています。みわちゃんは純粋に解決したことをとても喜んでいた、自分自身で深い納得感を得ることができた喜びを味わっていた、そういう印象です。あの間違いがみんなの授業をとてつもなく深めてくれ、のちの様々な授業の深まりをもたらした、それは当時のクラスのみんながきっと実感していたのではないかなと思います。
みわちゃんは、「発表が間違えていたときの私は一体どうしていたのだろうと気になるところです」と現在の心境を語ってくれましたが、当時を振り返ると、私の教職人生においてとてつもなく大きなプレゼントをいただいたと思っています。当時の私は、やり直した授業の報告などをA4ノート数ページにわたり、つぶさに記録し、新田校長先生、杉山教頭先生に見ていただきました。
すると次のようなコメントを書いてくださいました。私の教職人生を支えてくださった大先輩からの大切な励ましの言葉を「不易の種」として紹介します。
